2018年05月12日公開
2018年05月12日更新
【感動秘話】「たけし、金くれ!」売れてから小遣いをせびるようになったたけしの母。その真相に涙が止まらない・・・
漫才ブームで売れっ子になったビートたけしに、会う度にお小遣いをせびるようになった母・さきさん。たけしがバイク事故で大怪我を負った時、その理由を知ることに・・・

教育熱心だったたけしの母・さきさん
現在ではお笑い芸人の中では大御所となり、映画監督としても“世界のキタノ”として知られるビートたけし。
ビートたけしの母親・北野さきさんについては、たけし本人が書いた『菊次郎とさき』などで苦労人であり、教育熱心な母親として知られています。

出典: https://feely.jp
「貧乏は教育で断つ」という信念で、教育費のために生活費を削るほど教育熱心でした。
たけしの兄・北野大は明治大学工学部に進学し、民間企業を経て学者の道を歩んでいます。
たけしも明治大学工学部に進学させますが、途中でやる気をなくして家出同然に一人暮らしを始めます。
「お前なんか子どもじゃない! 絶対帰ってくるな!」
さきさんはこう憤ったとか・・・。それでもさきさんはいつでも大学に戻れるように学費を払い続けたといいます。
売れた息子に小遣いをせびる母
しかし、たけしは芸人への道を目指し、ツービートを結成して漫才師となります。
そして漫才ブームにも乗って一躍人気漫才師となり、ビン芸人としても活躍を見せました。
すると、母・さきさんはたけしに会う度に、何かと理由をつけてお小遣いをせびるようになったといいます。
「病院代をくれ」
「今までお前を育てた費用だから」
「水道の修理代をくれ」
教育熱心だった母のあまりの変わりっぷりにたけしは「因業ばばぁめ!」と悪態をつくこともあったとか。
バイク事故で死にかけたたけしにさきさんが渡したものは・・・
1994年、たけしは原付バイクで事故を起こし、生死をさまよう怪我を負いました。
再び芸人としてやっていけるかわからないほどの大怪我を負ったたけしを見舞いに来たさきさんは
「こういうことになると思ってな。お前は金遣いが荒いからその金は全部とってあるから、これであとの人生暮らせ」
と言って通帳とはんこを置いていったそうです。
その通帳には、たけしからせびったお小遣いに手を付けずに貯めたお金が入っていました。
「母親の愛情のすごさってさ、たまんなかったね」
たけしは母親の愛情をこう語っていました。
1999年にさきさんが亡くなった時には、人目もはばからず号泣・・・
たけしが家を出て一人暮らしで家賃が払えなかった時、内緒で大家に支払っていたこともあったとか・・・
母の愛は深くて広い!
ネットの反応
・このカーチャンはほんとすごいよ
・お葬式のインタビューは泣けるわ・・・
・ほんと教育って大事
・息子のことよくわかってるんだねw
さきさんはたけしの番組を熱心に見ているのに、笑うことはなかったとか・・・
ずっと息子のことが心配でしょうがなかったようです