2018年05月13日公開
2018年05月13日更新
【衝撃】24時間テレビの感動の名場面!周囲が感極まっている中、間寛平だけ無表情だった深い理由とは
日テレの毎年恒例のビッグイベント「24時間テレビ 愛は地球を救う」の呼び物であるチャリティマラソンの感動場面で、間寛平が無表情だった理由が深すぎると話題になっています。一体それは?

2015年『24時間テレビ』のチャリティマラソン
そのチャリティマラソンとは2015年の『24時間テレビ』の時で、ランナーはDAIGOでした。
元気にスタートを切るDAIGO

マラソン当日が当時DAIGOの恋人であった北川景子の誕生日とは出来すぎてますね。
DAIGOの走行距離は予定の100kmを少しオーバーした103.44kmだったようです。年齢的にも中年のDAIGOの体力(見た目は若いですが)からすると頑張りましたね。大健闘でした。
今年はDAIGOさんで100km!そして、追跡班としては初の埼玉県スタート!
— Sハム@自転車追跡班 (@S_hamu24) August 23, 2015
武道館到着時、Sハムのサイコンは103.44kmを示しており、公表されていた100kmを超えていました!
一生懸命走ったDAIGOさんを讃えてあげましょう! pic.twitter.com/wyWgZBN1cj
苦しそうな表情を覗かせるDAIGO
DAIGOのゴールシーンで間寛平の表情が...
そしてDAIGOがゴールした時の感動シーンが↓ 毎年この場面は感動に包まれ、舞台上のスタッフ、有名人たちは、ある人は感涙にむせび、ある人は満面の笑みを浮かべ、ランナーを迎えるのですが....
間寛平だけは何故かご覧の通り無表情だったのです。
一体はこれはなぜなのか?それは本人以外は分からない事ですが、一つの推測は浮かびます。
歴代ランナーの走行距離を比較すると...
それは走行距離です。DAIGOの100kmは勿論すごい事なのですが、間寛平に比較すると...いや、これは寛平が凄すぎるのですね。
1992年と93年は連続出場、走行距離は153kmと200kmだったのですから....1人だけ次元が違い過ぎました。
更に凄いのが、1995年、寛平46歳の時の600km(!)です。これにはネット民も以下のようにコメントしていました。
間寛平さんは六百キロ走ったね
ダイゴさんも凄いがダイゴさんより年上の間寛平さんが、ダイゴさんの六倍の距離 アンビリーバボー
間寛平が自分の1/6しか走っていないランナーに対して、ああいう顔になることは無理もないと言えます。
ネットの反応
・寛平は元々素の表情はこんなものなんじゃないの
・ランナーの体力には個人差があるのに、なぜ毎年同じタイムになるのか?
・100kmだって相当キツイ
・個々の状況に合わせて距離設定。 それに合わせて練習。 本番では、時間どおりの走行。
マラソンに関して間寛平は自負があるでしょうから、ああいう表情になったのかも知れません。今年('18年)はマラソンそのものを実施するかどうか、日テレは検討中のようです。