【涙腺崩壊】18歳にして散っていった特攻隊員の遺書に涙が止まらない!その衝撃の内容とは・・・

18歳という若さで特攻で散っていた若者たち・・・特攻隊員が家族に遺した遺書を読むと涙が止まらなくなる・・・

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目次

  1. 11943年ごろから開発が進められた特攻兵器
  2. 218歳の回天特攻隊員の遺書
  3. 3特攻兵器開発を主導した幹部は・・・
  4. 4ネットの反応

1943年ごろから開発が進められた特攻兵器

特攻と言えば最も知られるのは神風特別攻撃隊。初めての特攻は、1944年(昭和19年)10月17日に行われています。

しかし日本海軍では1943年7月頃から特攻の研究が始まっていて、1944年2月には人間魚雷・回天の開発が開始されています。

人間魚雷回天は超大型酸素魚雷「九三式三型魚雷」を改造して作られました。

開発当初は脱出装置をつけることを条件としていましたが、開発が難しい脱出装置は断念され、生きて帰れない特攻兵器となりました。

回天の実物を見た志願兵は、「これが俺たちの棺桶か」とつぶやき、頭の中が真っ白になったとか。

訓練に参加したのは、海軍兵学校、海軍機関学校、予科練、予備学生などからの志願兵1,375名。


実際に出撃して戦死した者は87名(このうち発進戦死49名)で、訓練中の殉職者が15名、戦死者の平均年齢は21.1歳という若さでした。

18歳の回天特攻隊員の遺書

人間魚雷回天の特攻隊員の一人が出撃3時間前に母にあてて書いた遺書がこちらです。

お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。

胸は日本晴れ。
本当ですよお母さん。少しも怖くない。
しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。

それは、今日私が戦死した通知が届く。
お父さんは男だからわかっていただけると思います。

が、お母さん。お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのでありませんか。
弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。

お母さん。
こんなことを考えてみましたら、私も人の子。やはり寂しい。

しかしお母さん。
考えて見てください。今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。

戦争はこの日本本土まで迫って、
この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。

母さん。
今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。

だからね。お母さん。
今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。
でもやっぱりだめだろうな。お母さんは優しい人だったから。
お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。

私が一番怖いのは、母さんの涙です。

涙が止まりません・・・

特攻兵器開発を主導した幹部は・・・

人間魚雷回天を始め、小型特攻ボート・震洋や人間機雷・伏龍など様々な特攻兵器を開発したのは黒島亀人海軍少将。

終戦時に宇垣纏の日記『戦藻録』の一部を勝手に処分したり、軍令部から借り受けた重要書類を紛失するなど自己保身のための証拠隠滅を図っています。

戦後は会社役員となり、その後は旧鍋島侯爵邸で余生を過ごして72歳まで生きています。

若者を死なせた人間がのうのうと生きていたという現実・・・

ネットの反応

・悲しいな・・・どうしてこうなってしまったのか
・黒島亀人は右左関係なく人間のクズだから
・都合の悪い書類を処分するのは日本の悪しき伝統
・未来ある若者の尊い命を奪う戦争は二度としてはいけない

幹部の人間は安全なところから若者に特攻をさせて
戦後のうのうと生きていたかと思うと、怒りが湧いてきます

出典:涙が止まらない, わたしの意見

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