2018年01月15日公開
2018年01月15日更新
【衝撃】死因は栄養失調じゃなかった!? 『火垂るの墓』の節子の死の真相とは・・・
ジブリの名作アニメ映画『火垂るの墓』で、14歳の兄・清太より先に亡くなる4歳の妹・節子の死因は栄養失調ではなかった!?

『火垂るの墓』節子の死の真相は・・・
野坂昭如原作でスタジオジブリ制作でアニメ化された名作『火垂るの墓』。
太平洋戦争の末期、神戸に住んでいた14歳の清太と4歳の節子の兄妹は神戸大空襲で母と家を失い、親戚の家に身を寄せることになります。
しばらくして居心地が悪くなった清太は節子を連れて家出して防空壕で暮らすようになります。しかし配給も途切れがちで食料を得るあてもなく、必死に飢えを凌ぐ日々を過ごします。
ある日、川辺で倒れた節子。清太は節子を病院に連れていくもとおりいっぺんの診察しかされず、清太は栄養をつけさせようと必死に食料を調達しますが、その甲斐なく節子は終戦から7日後の8月22日に亡くなります。
それを追うように清太も9月21日に三ノ宮駅構内で衰弱死。清太は錆びたドロップ缶を持っていて、その中には妹・節子の小さな骨片が入っていました。
そして原作ではこのように書かれています。
<白い骨は清太の妹、節子、八月二十二日西宮満池谷横穴防空壕の中で死に、死病の名は急性腸炎とされたが、実は四歳にして足腰立たぬまま、眠るようにみまかったので、兄と同じ栄養失調症による衰弱死。>清太の遺体を覗き込んだ駅員は彼の死を確認し、腹巻きの中から節子の遺骨の入ったドロップの缶を見つけ出して、<もて余したようにふると、カラカラと鳴り、駅員はモーションつけて駅前の焼跡、すでに夏草しげく生えたあたりの暗がりへほうり投げ、落ちた拍子にそのふたがとれて、白い粉がこぼれ、ちいさい骨のかけらが三つころげ、草に宿っていた蛍おどろいて二、三十あわただしく点滅しながらとびかい、やがて静まる。>
原作にこのような記述があるため、節子の死因は兄と同じく「栄養失調による衰弱死」だとされてきました。
そして節子が亡くなったのは清太のエゴイズムのせいであると批判する声も聞かれます。
しかし、栄養失調ならカロリー消費量から兄・清太の方が先に影響が出るはずで、節子の様子から死因はそれ以外にあったのではないか、との指摘があります。
それを示す描写が、空襲の後の降雨で節子の目に雨粒が入るシーンがあります。
そのシーンのしばらく後に、「目が痛い」と言い出す節子。
当時の神戸の海岸線には、今と同様に工場が立ち並んでいました。神戸製鋼所などの製鉄所や、軍需工場があり、空襲はこれらの工場にも行われました。
空襲直後の雨粒の意味とは・・・
さて、もうお分かりでしょう。
無駄を省く文章スタイルの持ち主であった野坂昭如氏が、
重化学工業地帯の対岸にあった御影地区に、
通り雨が降った事をわざわざ明確に記述する意味が。
節子の死の真因は、軍需工場の出火から生まれた
有害物質を含む黒煙の雨粒を左目に受け、
体内に取り込んだ事によるものだと考えられるのです。
空襲の後、親戚の家に身を寄せていた時から下痢症や皮膚症を発症しているのも、有害物質の影響を受けていた描写であるとみられます。
少なくとも節子はなんらかの病気にかかっていた、そしてその原因の一つがあの雨粒だと考えられます。
栄養状態が良ければ治っていたかも・・・
ネットの反応
・わざわざ目の異常を訴える描写が意味ないわけないわな
・清太の行動を変えても節子の死が回避できないのか・・・
・節子は最初の雨から死が決まってたのか…
・複合的な要因だよな 栄養良かったら違う結果だったかも
もし次に『火垂るの墓』を観る機会があったら
このことを気にしながら観てみてくださいね!