2019年02月16日公開
2019年02月16日更新
【考察】『火垂るの墓』の妹・節子の死因は栄養失調じゃない!?衝撃の真相は・・・
スタジオジブリの名作『火垂るの墓』で、14歳の兄・清太より先に亡くなった4歳の妹・節子の死因は兄と同じ栄養失調ではなかった!?

スタジオジブリの名作『火垂るの墓』
スタジオジブリ制作の名作アニメ『火垂るの墓』は、宮崎駿監督の盟友・高畑勲が監督の代表作です。
野坂昭如の短編小説をアニメ化したもので、野坂自身の戦争体験を反映した作品です。
物語は太平洋戦争の末期の神戸が舞台で、14歳の清太と4歳の節子の兄妹が戦争の混乱の中を必死に生きる様が描かれています。
神戸大空襲で母と家を失った清太と節子は親戚の家に身を寄せますが、居心地が悪くなった清太は節子を連れて家出。
防空壕で暮らすようになった2人は、食料を得るあてもなく必死に飢えを凌ぎながら生きる日々を過ごします。
ある日、節子が川辺で倒れてしまいます。清太は節子を病院に連れていきましたが、通り一遍の診察されただけ。
清太は節子に栄養をつけさせようと必死に食料を調達します。しかしその甲斐なく節子は亡くなってしまいます。
終戦から7日後の8月22日のことでした。
清太も節子を追うように一ヶ月後の9月21日に三ノ宮駅構内で衰弱死します。
清太が持っていた錆びたドロップ缶の中には妹・節子の小さな骨片が入っていました。
<白い骨は清太の妹、節子、八月二十二日西宮満池谷横穴防空壕の中で死に、死病の名は急性腸炎とされたが、実は四歳にして足腰立たぬまま、眠るようにみまかったので、兄と同じ栄養失調症による衰弱死。>清太の遺体を覗き込んだ駅員は彼の死を確認し、腹巻きの中から節子の遺骨の入ったドロップの缶を見つけ出して、<もて余したようにふると、カラカラと鳴り、駅員はモーションつけて駅前の焼跡、すでに夏草しげく生えたあたりの暗がりへほうり投げ、落ちた拍子にそのふたがとれて、白い粉がこぼれ、ちいさい骨のかけらが三つころげ、草に宿っていた蛍おどろいて二、三十あわただしく点滅しながらとびかい、やがて静まる。>
清太が亡くなったシーン、原作ではこのように表現されていました。
このため、節子の死因は清太と同様の「栄養失調による衰弱死」だと思われてきました。
節子の死因は栄養失調じゃなかった!?
しかし節子の本当の死因は別にある、という指摘があります。
栄養失調が死因とするならば、カロリー消費量から兄・清太の方が節子よしも先に影響が出るはずだというのが一つの理由です。
そして、本当の死因を示唆する描写とされるのが、空襲の後の降雨で節子の目に雨粒が入るシーンです。
それからしばらく後、節子は「目が痛い」と言い出します。
神戸大空襲の目標の一つは、当時の神戸の海岸線に立ち並んでいた工場です。神戸製鋼所などの製鉄所や、軍需工場が立ち並んでいました。
さて、もうお分かりでしょう。
無駄を省く文章スタイルの持ち主であった野坂昭如氏が、
重化学工業地帯の対岸にあった御影地区に、
通り雨が降った事をわざわざ明確に記述する意味が。
節子の死の真因は、軍需工場の出火から生まれた
有害物質を含む黒煙の雨粒を左目に受け、
体内に取り込んだ事によるものだと考えられるのです。
神戸大空襲の後、親戚の家に身を寄せていた時から節子は下痢症や皮膚症を発症しています。
それらも有害物質の影響を受けていた描写であるというわけです。
神戸大空襲であの雨粒を受けた結果、節子はなんらかの病気に罹っていたとみられ、それが死因の一つだった可能性があります。
病気が死を早めた可能性がありますね
ネットの反応
・わざわざ目の異常を訴える描写を入れてるのはそういうことだよな
・節子の死は最初の雨から決まってたのか・・・
・清太の行動が違っていても節子の死は回避できないのか?
・もう少し長く生きれてただけで、時間の問題だったろう
原作の野坂昭如も映画の高畑勲監督も亡くなってしまいました
この真相がはっきりすることはもうないのかも・・・