内田裕也死す!生涯ロックンローラーらしい縁で被災地・宮城県石巻市と繋がっていた!

内田裕也の訃報に接し、彼が震災直後の石巻市を支援のために訪れていた事がツイッターで話題になりました。"何かしらの縁を感じる"と語った内田と石巻市の繋がりとは...

内田裕也死す!生涯ロックンローラーらしい縁で被災地・宮城県石巻市と繋がっていた!のイメージ

目次

  1. 1故・内田裕也が「石巻市」に縁を感じたわけ
  2. 2いち早く被災地支援に乗り出した内田裕也
  3. 3内田裕也の「ロックンロール・バカ一代」
  4. 4日本ロック界の重鎮だった
  5. 5ネットの反応

故・内田裕也が「石巻市」に縁を感じたわけ

内田裕也さんが79歳で肺炎のために亡くなりました。去年奥様の樹木希林さんを亡くしたばかりなのに、後を追うように逝ってしまった裕也さん...

しかし時は折しも3月、8年前に東日本大震災が起こった月でもあります。裕也さんは2011年3月27日にいち早く宮城県石巻市を支援のために訪れていました。

"最も被害の酷かった石巻市に行くべきだと思った"と語った裕也さん。"石巻市とは何かしらの縁を感じる"とも...

内田にとって初めての被災地入り。石巻を選んだのは「死者や行方不明者など最も被害が大きいところ。真っ先にここに来るべきだと思った」という。

また「石巻は、英語で言えばロックンロール。何か縁を感じた」。津波の爪あとを目の当たりにして「ただあぜんとした。とても信じられない光景だった」と話した。

それは「石巻」=ロックンロールだからlaugh...いかにも裕也さんらしいですね。ロックにちなんでバナナ690本、みかん690個を地元の被災された方々に配りました。

いち早く被災地支援に乗り出した内田裕也

2011年3月27日JR徳島駅前で義援金を募る内田裕也

石巻市で内田裕也さんは被災者を元気づけるために、ハンドマイク片手に即興ライブを披露。ジョン・レノンンの「パワートゥーザ・ピープル」を歌ったのです。

裕也さんは義援金を募るために街頭に立って呼びかけたり、「内田裕也HELP! 基金」も立ち上げました。また石巻市での支援活動の印象を次のように話しました。

内田は「今まで何千回もステージをやってきたが、一生忘れられないステージになった。東北の人はパワーを持っている。必ず再興できる」と力を込め、最後は「頑張れ石巻!

 ロックンロール」と締めくくった。

行動派の内田裕也らしい熱い一面ですね。彼はその後、毎年記念式典に顔を出していたそうです。

内田裕也の「ロックンロール・バカ一代」

今の若い人には内田裕也といえば、”死神博士"のような『長ーい白髪とサングラス』がトレードマークの強面じいさんくらいの認識しかないかもしれませんsad

しかし若いころはシャープな顔立ちの二枚目だったのです。裕也さんの経歴をごくごく簡単にまとめてみました。

ダンディだった若いころ♪

内田裕也プロフィール

内田 裕也(うちだ ゆうや、1939年11月17日 - 2019年3月17日)は日本のミュージシャン、俳優。本名は内田 雄也(読み同じ)。身長174センチメートル。血液型はB型。 
兵庫県西宮市に生まれ、1959年に日劇ウエスタンカーニバルで本格的にデビュー。

以降、内田裕也とザ・フラワーズのヴォーカリスト、フラワー・トラベリン・バンドのプロデュース活動などを経て、1970年代後半からは俳優としても活動し映画出演や映画監督なども手掛ける。また、映画『コミック雑誌なんかいらない!』や『エロティックな関係』などでは脚本も担当した。口癖は「ロケンロール」(Rock'n Roll)。 

■内田裕也の知られざる1面です...

・元々は結構なボンボン育ち ロカビリー歌手としてデビュー。
・映画若大将シリーズにもちょい役で出演。
・ビートルズ来日の際には日本武道館の舞台袖で見ている姿が写真に撮られている。
・フラワートラベリングバンド結成 あくまでロックは英語で歌うということにこだわった。
・「ハッピーエンド」系とは対極的な立場として、日本のロックを定着させる力となった。

第二期フラワー・トラベリング・バンド

ヴォーカルのジョー山中をメインとしサイケデリックなハードロックを目指していた。

内田裕也は徐々にフラワーのプロデュースに徹するようになった。

裕也さんは映画にも数多く出演しました。中でも主演の「10階のモスキート」評判が良かったです。

映画『10階のモスキート』から

何か危ない雰囲気が漂っていました。

鮎川誠(シーナ&ロケッツ)やジョー山中、若き日の沢田研二なども祐也さんとは深い交流で結ばれていました。

■沢田研二が愛着を込めて内田裕也のことを歌った「湯屋さん」

日本ロック界の重鎮だった

内田裕也といえば「ニューイヤーズワールドロックフェスティバル」を毎年年越しで開催して日本のロックシーンを盛り上げていたことが上げられます。

JPOP路線が主流になり、いつしか古き良き時代の野性味あふれるロックが隅に追いやられている風潮ですが、内田裕也はめげずに「ロッケンロール」と掛け声で盛り上げてきました。

何しろ去年で42回も続いたのですから、裕也さんの裏方としての実力もさることながら、老若男女ミュージシャンが裕也さんを日本ロック界の重鎮と認めているからに他なりません。

遺作となったドキュメント映画『転がる魂・内田裕也』の舞台あいさつに、映画監督の崔洋一さんとともに現れた内田裕也。

ロックンロールの生き証人がまた亡くなってしまいました...

ネットの反応

・よく考えたら、ストーンロール・・・いやいや、なんでもないです。。。 ロケンロール!
・大麻、暴力、ストーカー、決して美談ではない、日本の音楽業界のイメージを悪くした人でもある。 ばいばい
・やっぱり樹木希林の後を追って逝ってしまったね。RIP
・ニューイヤーロックフェス長年続けたのは立派!裏方的能力には秀でていた人だったと思う。

毀誉褒貶の激しかった人ですが、音楽的生き方はとても面白いものがあったとおもいます。ご冥福を祈ります。

出典:日刊スポーツ COROBUZZ Twitter 

関連するまとめ

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ