2018年04月14日公開
2018年04月14日更新
障害を持つ弟に「いじめられたらすぐ俺に言え」と言って面倒を見てくれたヤンキーのケイタ君の存在に涙が止まらない・・・
障害を持つ弟を舎弟としてかわいがり、「いじめられたらすぐ俺に言え」と言って守ってくれたヤンキーのケイタ君。彼は今どこに・・・

障害を持つ弟の面倒を見てくれたヤンキーのケイタ君
私には弟がいました。
脳疾患を持っていて、合併症も併発し、医者には長くても20歳まで生きられるかどうかと言われながらも28歳まで生きました。
その弟が小学生の頃の話です。小学5年生の時、無理を言って普通学級に編入させてもらいました。
弟はそこで友だちができました。名前はケイタ君。複雑な家庭だったためか、その頃からゲームセンターに入り浸り、タバコも吸っているような不良でした。
でもなぜか弟には親切にしてくれました。
呼吸器を引きずり、クラッチ付きの子どもに対して、同級生は時に残酷な言葉を浴びせることもあります。陰湿なことをされることもありました。
でも、ケイタ君がいるときは絶対にされなかったそうです。
弟はいつも家に帰ると母と私にこう言っていました。
「ケイタがね、
『いじめられたらすぐに俺に言え、お前は俺の舎弟だからな』
だって。
でも舎弟ってなんだろね。子分のことかな?」
修学旅行の移動中に弟がそそうをしてしまった時は、一斉にはやしたてた同級生を気に留めずに下の世話までしてくれたそうです。
中学生になっても会いに来てくれたケイタ君
中学からは弟は養護学校中等部に入ったため、これまでのようにケイタ君と親しくすることはなくなりました。
中学生になったケイタ君はより一層不良になっていったそうです。
でも養護学校でバザーがあると会いに来てくれました。養護学校の生徒とフォークダンスを踊ってくれたりして、風貌は不良でしたが、とても不良だとは思えなかったのです。
その後のケイタ君は、噂によると16歳のとき警察のお世話になることをやって少年院に入り、少年院を出た後は東京に行ってしまったとか・・・
ケイタ君と会うことはそれ以降なくなりました。
そして弟は28歳で永眠。医者から長くはないと言われ覚悟していた母も私も
「やっと楽になれたね、よく28まで生きたね」
と落ち着いた気持ちで迎えたのを覚えています。
葬式も終わり、弟の持ち物を整理していた時に見つけたのは弟が大事にしていたであろう木箱でした。
木箱の中身を見た時、母も私も弟が亡くなった時よりも涙が止まらなくなってしまいました。
弟が大事にしていた木箱の中身は・・・
木箱の中にあったのは弟の宝物。その中でも、特に大事そうに包まれていたのは、1枚の写真と数通の手紙。
写真に写っていたのは、弟のケイタ君。養護学校時代の弟の隣で不良らしい腕を組んだポーズでカメラにガンを飛ばしていました。
数通の手紙はどれも短い文章が書かれていました。
「おまえはいつでも俺の舎弟だ」
「早く元気になれ、ドライブに連れってやる」
「寂しくなったらいつでも言え、すぐ俺が来る」
不器用だけど優しさに溢れるケイタ君から弟への励ましの手紙を読んで、母も私も涙が溢れてずっと泣き続けました。
ケイタ君は今どこにいるのでしょうか・・・会って手を握ってありがとうと言いたくてたまりません。
涙が止まりません・・・
ネットの反応
・弱い者いじめが嫌いなタイプの不良だったのかな
・家庭環境が良ければちゃんと成長しそうな子なのに
・ヤンキーは仲間意識は強いからな
・更生してればいいんだが
家庭環境からグレてはいたものの、心優しいケイタ君
更生していれば再会するチャンスもあるかもしれませんね